多彩な水のすがた

 長い歴史的な過程を経て、農業用水はわが国の風土を形成し、今ではあたかも自然の一部であるかのように地域の中に組み込まれている。農業における土地と水の利用が、地域における地形や水文など自然立地を巧みに生かし、それを高度に利用する形で技術化され、自然と有機的に結合しているためである。この結果、人工的に開削された水路さえもが 「川」 と呼ばれるまでになるほど、自然のなかに調和した環境を形成してきた。

 農業用水は、いうまでもなく、かんがいを目的にしているが、単にそれだけでなく、流れるうちにいくつもの顔を我々に見せる。
 集落の中を流れる水路には洗い場が設けられ、炊事・洗濯にこの水が使われていたのはつい最近までのことであり、現在の東南アジアに限ったことではない。作物や農機具の洗浄はもちろん、家畜用水などの営農用水や水車の動力、防火用水、多雪地域の消雪用水など、地域の用水として流れてきた。最近では、農業用水路を利用した小水力発電など、従来なかった新たな利用もはじまっている。村々では、本来きれいな水であった農業用水を、何の目的にでも一次元的に使っていて、地域の原水供給の役割をもっていたのである。

 また、農業用水には、メダカやホタルの棲む 「ふるさとの小川」 としての顔もある。川辺の草木を伴った憩いの場として、またレクリエーションの場として、水辺空間は使われてきた。それは、「春の小川」 として日本人の心に留められている。汚水の流入により環境が悪化したのに対し、清流をよみがえらせ、用水の一部を流して環境と景観の保全に努めている例も各地でみられる。
 農業用水は、農村地域の水環境の全体を形成してきたのである。このことは、農村だけでなく、水の循環を通じて都市にも役立っていることをも意味している。
 こうした役割は、上水道や工業用水にはみられない特徴である。この役割を守るため、洗浄用に用水を使っても必要以上に汚すことがないように守るルールが確立していた。
 また、水路の機能維持のために、古くからの水利組織が自治的な管理を行い、道普請とともに溝浚えは、村の重要な共同作業となっていた。こうした努力が、多面的な役割を支えてきたのである。

 近年、生活様式の変化で家庭汚水が自然浄化機能を上回って増加し、ゴミの投棄などともあいまって、地域の環境悪化に拍車をかけている。また、都市化に伴う地下水位の低下や降雨流出の増大による溢水など、これまで農業用水を媒体として保全されてきた地域の水環境が、無秩序な都市化によってバランスを失い、障害を生じている。一方、混住化や兼業化の進展により、均質的な農民を前提にした施設維持の仕組みが次第に崩れ、この意味でも、地域の水環境は新た変貌を余儀なくされている。