水を貯める、溜池

 溜池は、全国に30万近くもあるとされており、近畿から瀬戸内海沿岸を経て北九州におよぶ一帯には特に多く分布している。これらの溜池のなかには、遠く古墳時代に築造されたものも少なくないといわれ、現在でも農業用水の相当な部分を担い続けている。
 水田の増加などで必要な水量が増加すると、まず自然のままの流れ(自流)を利用し、しだいに井堰を改良して利用可能な水量をできるだけ増やそうとするが、渇水時にはやがては自流だけでは用水不足が生じるようになる。わが国の河川は、季節により水量が大きく変動する。古代の井堰は簡易なもので、利用可能量を生み出す能力が小さく、取水もあまり安定していなかったため、旱魃に見舞われることも多く、耕地の拡張の大きな制約にもなった。
 溜池は、このような状況を解決するため次々とつくられていった。河川の年間を通じて変動する流量のうち、非かんがい期や流量の豊富な時期の水を貯留し、これを水の不足する時期に利用するのである。河川の自流だけでは、取水量は渇水時の流量に限定されることになるが、余水を貯留し、多くの流量を要する時期に補給的に放出すれば、河川からの取水をその分だけ増加させることができる。取水量の増加で、かんがい面積が増加できるため、耕地が拡張される時代には溜池が多くつくられた。

 溜池のもつ水の貯留機能を活用して、地域の水の利用効率を高めるという方法は、大河川に設置される現在の巨大なダムにも受け継がれている。
 溜池の築造には,設計や施工に新しい技術が不可欠である。溜池は土を用いる構造物としては大規模なものであり、掘削・運搬・盛土といった工程には大量の鉄製の道具や労働力が必要となる。また満水時の水を安全に溢流させるための余水吐や、底樋などの取水施設は、高度な水密性を要求される。これらには、渡来人や帰朝者の技術が活用されたのであろう。

 古墳は巨大なモニュメントであるが、同時期に出現した溜池群には、溜池が古墳以上に生産に密着しているがゆえに、古代統一国家の基盤を支えたといってよいほどの重要な意義がある。歴代の天皇が河内の狭山池をはじめとする池をつくったと史書にあるのは、そうした重要性を反映している。
 現在では、溜池は潅漑の水源施設しての役割だけでなく、溜池がその地域で何十年、何百年という長い間大切に使われてきたために、地域の公園やオープンスペースとして役立っているところも多い。古来からの溜池が延々と命脈を保ち、その機能を十分果たし続けているのは、貴重な歴史遺産であるといえる。