世界かんがい施設遺産

立梅堰 (三重県) 狭山池 (大阪府)1934年 通潤用水 (熊本県)

~ 世界かんがい施設遺産 (Heritage Irrigation Structures) H I S ~

世界かんがい施設遺産制度は、かんがいの歴史・発展を明らかにし、理解醸成と施設の適切な保全に資することを目的に国際かんがい排水委員会(ICID)により創設された制度です。登録される施設は、建設から100年以上経過し、歴史的・技術的価値のあるかんがい施設で、日本では2019年9月現在、39の施設が登録されています。

【 2019年登録 】 2019.9.4 登録決定

1. 十石堀(じゅっこくぼり:茨城県北茨城市)
1668年(寛文8年)、村長沼田主計が用水路の建設を計画し、藩主に願い出る。工事は1668年8月に始まり、農民らの協力によって約半年後の1669年3月に完成した。沼田主計が租税を免除された新田の米の収穫高が約10石であったことから、用水路は十石堀と呼ばれるようになった。
(参考サイト)北茨城市HP

2. 見沼代用水(みぬまだいようすい:埼玉県行田市、羽生市、加須市、鴻巣市、久喜市、桶川市、上尾市、蓮田市、白岡市、春日部市、さいたま市、越谷市、川口市、草加市、戸田市、北足立郡伊奈町、南埼玉郡宮代町)
利根川中流域から取水し、1728年(享保13年)の建設以来、現在まで、首都北部に位置する広大な農地に用水を供給している幹線延長約80kmの用水路。将軍吉宗に招聘された紀州流の土木技術者、井澤弥惣兵衛為永は、それまで約5,000haを灌漑する水源であった見沼溜井を廃止・干拓して約1,200haの新田とし、代わりの水源を確保するため、約60km離れた利根川から引水するための見沼代用水(見沼に「代わる」用水)を築造した。工事は先進的な「紀州流」技術を結集し、わずか6ヶ月という短期間で完成し、新田開発と既存田を合わせた約15,000haの水田へ豊富で安定した用水供給を可能とした。閘門式運河の「通船堀」は1982年に国指定史跡として登録されている。
(参考サイト)水土里ネット見沼代用水HP
(学会内参考サイト) 地域づくりの歴史 見沼代用水
(参考)「農業土木を支えてきた人々 井沢弥惣兵衛為永の業績-見沼代用水-」(学会誌第47巻第4号
「技術史を語り続ける農業水利遺構 今も生きる幕府の窮乏を救った紀州流の技術<見沼代用水>」(学会誌第77巻第10号

3. 倉安川・百間川かんがい排水施設群(くらやすがわ・ひゃっけんがわかんがいはいすいしせつぐん:岡山県岡山市)
江戸初期に築造された倉安川と百間川、倉安川吉井水門で構成。百間川は岡山城下の洪水防止のため、旭川の放水路として1669年(寛文9年)岡山藩の重臣津田永忠の進言により着手され、1686年(貞享3年)完成した。倉安川は灌漑用水供給・船運のため築造された、吉井川と旭川を結ぶ人工河川で、藩主池田光政が1679年(延宝7年)、津田永忠に命じて掘削に当たらせ、1年間で完成した。
(参考サイト)岡山市HP(おかやまの埋もれた歴史再発見)
(学会内参考サイト) 地域づくりの歴史 吉井川
(参考)「農業土木を支えてきた人々 津田永忠と新田の開墾」(学会誌第51巻第9号

4. 菊池のかんがい用水群(きくちのかんがいようすいぐん:熊本県菊池市)
菊池川水系で江戸時代に造られた築地井手(1615年(慶長20年・元和元年)建設)、原井手(1701年)、今村井手・宝永隧道(1705年)、古川兵戸井手(1835年)などからなる用水施設群。築地井手は、加藤清正によって築造された。
(参考サイト)菊池市HP 

【 2018年登録 】 2018.8.13 登録決定

1. 北楯大堰 (きただておおぜき : 山形県庄内町)
庄内平野中央部に位置する用水。出羽国狩川城主の北館大学利長が主君最上義光に大堰開削の許可を得て幾多の苦難を克服し、1612年(慶長17年)に完成させた疏水事業。
(参考サイト)最上川土地改良区HP
(参考)「農業土木を支えてきた人々 北楯大堰開削の先覚者、北館大学利長」(学会誌第50巻第7号

2. 五郎兵衛用水 (ごろべえようすい : 長野県佐久市)
長野県北佐久地方の用水。上州南牧出身の市川五郎兵衛が新田開発のため小諸藩から開発許可状を得て、江戸時代初期に私財を投じて完成させた用水路。
(参考サイト)佐久市HP
(参考) 「農業土木を支えてきた人々 市川五郎兵衛翁と新田開発」(学会誌第48巻第10号

3. 大和川分水築留掛かり (やまとがわぶんすいつきどめかかり : 大阪府柏原市、八尾市、東大阪市)
大和川の付け替えに伴い1705年(宝永二年)に供用が開始された「西用水井路(現在の長瀬川)」と「東用水井路(現在の玉串川)」の2つの水路。都市化が進み農地は大きく減少したが、今もなお、大阪府柏原市・八尾市・東大阪市の約226ヘクタールの農地を潤している。
(参考サイト)大阪府HP

4. 白川流域かんがい用水群 (しらかわりゅういきかんがいようすいぐん : 熊本県熊本市、菊陽町、大津町)
江戸初期の1606年から1637年にかけて供用開始され、当時としては卓越した技術で建設された堰や用水路(上井手用水、下井手用水、馬場楠井手用水、渡鹿用水)
(参考)熊本市HP,菊陽町HP

【 2017年登録 】 2017.10 登録決定

1. 土淵堰(どえんぜき : 青森県弘前市、つがる市、藤崎町、板柳町、鶴田町)
岩木川から取水し、岩木川左岸の農地を潤す大用水路。津軽藩により1644年(正保元年)に完成。
(参考サイト) 水土里ネット西津軽HP

2. 那須疏水(なすそすい : 栃木県那須塩原市)
那珂川から取水し、那須野ヶ原を潤す用水路。印南丈作、矢板武らの尽力により1885年(明治18年)完成。
(参考サイト)水土里ネット那須野ヶ原HP
(参考) 「農業土木を支えてきた人々 印南丈作・矢板武翁」(学会誌第48巻第3号

3. 松原用水・牟呂用水(まつばらようすい・むろようすい : 愛知県豊橋市、豊川市、新城市)
松原用水は,1567年(永禄10年)に造られ,豊川の右岸から取水し,豊橋市,豊川市,小坂井町の水田を潤す。牟呂用水は,豊橋市神野新田地区の新田開発に伴い建設されたもので、豊川の左岸から取水し、豊橋市神野新田地区の新田を潤す。1894年(明治27年)に完成。
(参考サイト)水土里ネット牟呂用水HP
(参考)「Cover History 牟呂用水」(学会誌第78巻第4号) 写真(小池義夫氏撮影)

4. 小田井用水路(おだいようすいろ : 和歌山県橋本市、かつらぎ市、紀の川市、岩出市)
江戸中期に紀州藩の命により、大畑才蔵が1710年(宝永7年)に完成させた用水路。紀の川右岸より取水。
(参考サイト)水土里ネット小田井用水HP
(参考) 「農業土木を支えてきた人々 大畑才蔵」(学会誌第47巻第7号
(参考)「三百年を経てなお地域を潤す農業用水路(小田井水路)<龍之渡井>」(学会誌第77巻第10号

【 2016年登録 】 2016.11.08 登録決定

1. 照井堰用水(てるいぜきようすい : 岩手県一関市、平泉町)
1100年代後半、奥州藤原氏の家臣照井太郎高春により磐井川に穴堰を開削し、藤原氏滅亡後の1200年代初めに高春の子の高康が堰及び水路を完成させた。
(参考サイト) 水土里ネット照井HP ⇒ http://terui1170.com/

2. 内川(うちかわ : 宮城県大崎市)
伊達政宗が命じて江合川に木造の取水樋門(大堰)を築き、宮城での最初の居城、岩出山城の内堀に引水するとともに、大崎耕土を潤すかんがい水路に利用したのが始まり。
(参考サイト)水土里ネット大崎HP http://www.midorinetoosaki.jp/
(参考) 「仙台藩祖伊達政宗が築いた岩出山大堰」(大友堅一郎)(学会誌第76巻第6号
「Cover History 大堰頭首工」(学会誌第75巻第2号) 写真 大堰頭首工(根岸将也氏撮影)  内川

3. 安積疏水(あさかそすい : 福島県郡山市、猪苗代町)
日本海に流れる猪苗代湖から太平洋側の安積の原野に導く疏水で、明治12年に国直轄事業として着工し、明治15年完成した。かんがい、発電、上水、工業用水にも利用され、郡山市の発展に多大な貢献を果たした。計画時にファン・ドールンの助言を受けた。
(参考サイト)安積疏水土地改良区HP ⇒ http://www.asakasosui.jp/
(参考)「農業土木を支えてきた人々 安積疏水通水100周年と中條政恒」(学会誌第51巻第5号

4. 長野堰用水(ながのせきようすい : 群馬県高崎市)
約1,100年前、上野国守長野康業により開削され、室町時代に長野信濃守業政が今の長野堰の原形に整備したと伝えられる。明治時代に榛名山に隧道を貫通させ、榛名湖の水を導水し烏川の増量を図った。
(参考サイト) 水土里ネット長野堰HP ⇒ http://naganoseki.or.jp/guide/guide.html /

5. 村山六ヶ村堰疏水(むらやまろっかむらせぎそすい : 山梨県北杜市)
八ヶ岳南麓の六ヶ村のかんがい用水、生活用水として開削された用水で、約千年位前に開削されたと伝えられる。

6. 滝之湯堰・大河原堰(たきのゆせぎ・おおかわらせぎ : 長野県茅野市)
坂本養川の高島藩への請願によって開削された農業用水路で、1785年に滝之湯堰10.4kmが、1792年に大河原堰12.5kmが完成した。坂本養川が計画した「繰越堰(くりこしせぎ)」は複数の河川を用水路で結び、比較的水量が多い河川の余水を水不足地帯へ送るという水利体系である。
(参考サイト) 茅野市HP ⇒ http://www.city.chino.lg.jp/ (観光・イベント)
(参考) 「農業土木を支えてきた人々 坂本養川」(学会誌第50巻第10号

7. 拾ヶ堰(じっかせぎ : 長野県安曇野市、松本市)
安曇野の堰の中でも拾ケ堰は最大規模で、10カ村の農村の指導者によって立案され、1816年(文化13年)に開削された。幹線水路の延長は15キロメートルで、信濃川水系奈良井川の取水口と終点である烏川との標高差は5m。
(参考サイト) 安曇野市HP ⇒ https://www.city.azumino.nagano.jp/ (安曇野水物語)

8. 源兵衛川(げんべえがわ : 静岡県三島市)
16世紀に三島の有力者である寺尾源兵衛が、中郷地域の11ヵ村の耕地に広くかんがいするために建設した水路。
(参考サイト) NPOグラウンドワーク三島HP ⇒ http://www.gwmishima.jp/

9. 足羽川用水(あすわがわようすい : 福井県福井市)
福井市南東部一円800haの農地を灌漑する用水。江戸時代初期には九頭竜川水系足羽川に設けた5ヵ所の堰により取水・灌漑していたと伝えられる。

10. 明治用水(めいじようすい : 愛知県安城市、岡崎市、豊田市、知立市、刈谷市、高浜市、碧南市、西尾市)
矢作川上流より取水し、西三河一帯の農地を潤す大用水。江戸時代末期、和泉村の豪農、都築弥厚が計画し、石川喜平の協力を得て測量を始め、弥厚の死後、明治時代に岡本兵松、伊豫田与八郎らの尽力で1880年(明治13年)に主要な幹線が完成した。
(参考サイト) 水土里ネット明治用水HP ⇒ http://www.midorinet-meiji.jp/
(参考) 「農業土木を支えてきた人々 石川喜平」(学会誌第48巻第11号
「Cover History 明治用水頭首工」(学会誌第75巻第10号
写真  明治用水頭首工(75-10 小池義夫氏撮影)  明治本流(62-4 稲垣正雄氏撮影)

11. 南家城川口井水(みなみいえきかわぐちゆすい : 三重県津市)
一級河川雲出川より取水し、雲出川中流域の農地を灌漑する用水。1190年(文治6年)に開設され、1729年(享保14年)に南家城井と川口井の二つの井水が連合し、現在に至っている。

12. 常盤湖(ときわこ : 山口県宇部市)
宇部市南東部に位置する山口県最大のため池(貯水量3,767千m3)。領主の福原家が1698年に常盤湖を築堤し、1701年に用水路工事等がが完成した
(参考サイト)宇部市HP ⇒ http://www.city.ube.yamaguchi.jp/(まちづくり・ビジネス)

13. 満濃池(まんのういけ : 香川県まんのう町)
香川県南部に位置する、灌漑用として日本一を誇る溜池。701年~704年(大宝年間)に讃岐の国守道守朝臣の創築と伝えられている。818年に決壊、821年 (弘仁 12年)空海が修築したことが知られている。
(参考サイト)まんのう町HP ⇒ https://www.town.manno.lg.jp/ (トップ>満濃池)
(参考)「地域の象徴 満濃池」(学会誌第77巻第10号

14. 幸野溝・百太郎溝水路群(こうのみぞ・ひゃくたろうみぞすいろぐん : 熊本県湯前町、多良木町、あさぎり町、錦町)
熊本県の南部、球磨川の上流に位置する用水。幸野溝は、相良藩士高橋政重が着手し1705年(宝永2年)完成、百太郎溝は1680年代に完成といわれている。
(参考サイト)水土里ネット幸野溝HP ⇒ http://www.kounomizo.jp/info/index.html

【 2015年登録 】

1. 上江用水路 (うわえようすいろ : 新潟県上越市、妙高市)
農民によって約400年前(天正年間)から3期130年にわたって掘り継がれ、1781年(安永10年)に全線通水。
第2期は清水又左衛門、第3期は下鳥富次郎が中心となり実施
(参考サイト) 水土里ネット関川水系HP ⇒ http://www.sekikawasuikei.com/
新潟県HP (農林水産業 > えちご田園通信 > 後世に残したい農業水利施設)
(参考) 「農業土木を支えてきた人々 下鳥富次郎」 (学会誌第51巻第11号

2. 曾代用水 (そだいようすい : 岐阜県関市、美濃市)
1663年(寛文3年)から約10年をかけて長良川から導水した用水路。
尾張の浪人喜田吉右衛門兄弟と豪農柴山伊平が私財を投げ打って完成させた。
(参考サイト) しもうちふれあいまちづくり委員会HP ⇒ http://shimouchi.jp/xoops/
(参考) 「農業土木を支えてきた人々 喜田吉右衛門外二氏」 (学会誌第48巻第5号

3. 入鹿池 (いるかいけ : 愛知県犬山市)
尾張藩が木曽川から導水できない丘陵地の水利開発のため1628年(寛永5年)に入鹿池築造を計画、
1633年(寛永10年)に完成させた。総貯水量15百万m3のわが国最大級のため池。
(参考サイト) 水土里ネット愛知HP ⇒ http://www.aichi-doren.or.jp/
(参考) 「農業土木を支えてきた人々 徳川義直と六人衆」 (学会誌第49巻第7号

4. 久米田池 (くめだいけ : 大阪府岸和田市)
行基が725年(神亀2年)から738年(天平10年)にかけて築造と伝えられるため池。
大阪府下最大級の水面積(46ha)を有する
(参考サイト) 農林水産省HP (ため池百選)

【 2014年登録 】

1. 稲生川 (いなおいがわ : 青森県十和田市他)
奥入瀬川から取水し、青森県東南部を潤す用水路。1852年(嘉永5年)三本木開拓の計画を藩に提出、1855年(安政2年)水路工事に着手、1859年(安政6年)三本木まで導水
(参考サイト) 水土里ネットいなおいがわHP ⇒ http://www.inaoigawa.or.jp/
(参考) 「農業土木を支えてきた人々 新渡戸傳翁」 (学会誌第47巻第12号

2. 雄川堰 (おがわせき : 群馬県甘楽町)
開削の時代は不明であるが、江戸時代初期(寛永年間)と伝えられる。古くからかんがい用水や生活用水として使われてきた。町指定文化財。環境省の名水百選に選定されている。
(参考サイト) 甘楽町HP ⇒ http://www.town.kanra.lg.jp/ (町の紹介 > 歴史・沿革 > 甘楽町指定文化財)

3. 深良用水 (ふからようすい : 静岡県裾野市他)
芦ノ湖を水源に1666年(寛文6年)から着手し1670年に完成・通水した全長1,280mの隧道。
深良村名主が幕府と小田原藩の許可の下、箱根権現の理解と江戸商人の協力を得て実施
(参考サイト) 裾野市HP (観光施設・景勝地)
(参考) 「農業土木を支えてきた人々 友野与右衛門」 (学会誌第49巻第6号

4. 七ヶ用水 (しちかようすい : 石川県白山市他)
手取川右岸から取水していた七用水を、1903年(明治36年)に最上流の取水口に合口。
その後1937年(昭和12年)発電所建設により、現在の取水口は白山堰堤に変更されている。
(参考サイト) 水土里ネット七ヶ用水HP ⇒ http://www.shichika.or.jp/
(参考) 「農業土木を支えてきた人々 枝 権兵衛」 (学会誌第50巻第11号

5. 立梅用水 (たちばいようすい : 三重県多気町他)
紀州藩により1823年(文政6年)完成。農業用水および発電用水に利用。
国の登録記念物(2014年6月登録)
(参考サイト) 水土里ネット立梅用水HP ⇒ http://www.tachibai.jp/
(参考) 「国内ニュース 立梅用水が農業水利施設としてわが国初の登録記念物に登録」 (学会誌第82巻第8号
「Cover History 立梅用水」 (学会誌第75巻第7号

6. 狭山池 (さやまいけ : 大阪府大阪狭山市)
7世紀前半に築造とされる現存する我が国最古のダム形式のため池
国の指定史跡(2015年3月指定)
(参考サイト) 大阪府立狭山池博物館HP ⇒ http://www.sayamaikehaku.osakasayama.osaka.jp/
大阪狭山市HP ⇒ http://www.city.osakasayama.osaka.jp/
(参考)「河内國狭山池の改造工事」(学会誌第6巻第1号) 写真(6-1 1934年)

7. 淡山疏水 (たんざんそすい : 兵庫県神戸市他)
いなみ野台地への疏水構想は江戸時代中期に検討され、淡河(おうご)川疏水は1891年(明治24年)完成、山田川疏水は1919年(大正8年)完成。戦後、国営東播用水農業水利事業により水源を増強
(参考サイト) 兵庫県HP (食・農林水産 > 環境整備 > 農地・ため池・水路)
(参考) 「Cover History 御坂サイフォン」 (学会誌第83巻第8号) 写真(合田弘氏撮影)

8. 山田堰、堀川用水、水車群 (やまだぜき、ほりかわようすい、すいしゃぐん : 福岡県朝倉市)
最初の山田堰は江戸時代1663年(寛文3年)築造、1700年代後半に山田堰および堀川用水路の改修と水車群設置。
堀川用水および朝倉揚水車は国指定史跡(1990年7月指定)
(参考サイト) 水土里ネット山田堰HP
(参考)「わが国に現存する唯一の大規模石堰<筑後川:山田堰および堀川用水路>」(学会誌第77巻第10号
「Cover History 山田堰」(学会誌第85巻第8号) 写真(小澤拓治氏撮影)

9. 通潤用水 (つうじゅんようすい : 熊本県山都町)
矢部の惣庄屋であった布田保之助によって1852年(嘉永5年)から1857年(安政4年)に造られた石造の農業用水路。通潤橋は国重要文化財(1960年2月指定)、通潤用水と白糸台地の棚田景観は国指定重要文化的景観(2008年7月選定)
(参考サイト) 熊本県HP (観光・文化・国際 > 文化・スポーツ > 地域発ふるさとの自然と文化)
(学会内参考サイト) 地域づくりの歴史 通潤橋
(参考) 「農業土木を支えてきた人々 布田保之助」 (学会誌第51巻第10号

※世界かんがい施設遺産、水利遺産、土地改良の偉人等に関する総合情報は以下のサイトでご覧いただけます。
農林水産省HPの世界かんがい施設遺産サイト
http://www.maff.go.jp/j/nousin/kaigai/ICID/his/his.html
農林水産省HPの水土里電子博物館サイト
http://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/index.html
全国水土里ネットHPの水土里デジタルアーカイブスサイト
http://www.inakajin.or.jp/jigyo/tabid/180/Default.aspx
一般社団法人農業農村整備情報総合センターHPの水土の礎サイト
http://suido-ishizue.jp/index.html